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“希霜”天外?

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第2章へ入る前に<6>

第6部 世の中は、案外シンプルなのかもしれない…
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さて、ここまで長文を読んでくださったみなさんに伝えるべき最も重要なことは
生死観でも宇宙の話でもなく “第1章で得たもの” です。
それは、前述してきたような自己表現を追求する過程で定着した「Recycling of Happiness」という意識と、
「自分自身が本質的に幸せであれば、自然と Recycling of Happiness は実践できる」という確信です。
理屈から判断して頷く知識としてではなく、流れの中で無条件に受け入れた、いわば信念のようなものです。
この信念をスタート地点として枝分かれした先を辿っていくことで
複数の問題提起に対して一貫した考え方で解決でき、多くのことが不思議なほどシンプルに見えてきます。

・良い作品とは何か。
・自分は写真を使って何ができるのか。
・自分の作品に価値はあるのか。
・本質的に、何が撮りたいのか。
・そもそも、写真を撮ることに意味はあるのか。
・良い作品を生み出すのに必要なものは何か。
・なぜ自分は写真を撮っているのか。
・なぜ自分の作品を人に見せるのか。
・作風が似ている人の存在を、どう捉えればいいのか。
・自分の作品を、一般には評価されなくても誰か一人が気に入ってくれればいい。その根拠は?
・写真は撮り貯めてはいるが、この先、何をすればいいのか。

・・・などなど、これらは写真表現に取り組む上でいくらでも出てくる疑問の一例ですが、
写真を始めた頃はそれぞれの問題にいろんな要素が絡み合って混沌としていると思っていたのに、
Recycling of Happiness の意識が疑問を一気に、そして単純に解決してくれることに気づきました。

この大長文の冒頭で、
 >今になってみると、すべてがひとつの概念を頂点として幾何学的な空間に収まっているように見えて、
 >表現とはなんと(数学的な意味で)美しいものだろうか…と感じています。
と書きましたが、これこそが第1章で獲得した意識のエッセンスであると言えます。
ただ、上記の疑問に対する具体的な答えは残念ながら皆さんが求めている答えと一致するとは限りません。
そして、たとえ希霜の考え方を羅列したとしても何もシンプルには見えないと思います。

ひとつの例えですが、
「大阪」という場所を表すのに北緯○○度、東経○○度、高度○○メートルと書くこともできれば
現在位置から東へ○○km、南へ○○km、高度差○○m…と説明することも可能です。
このように、ひとつの点を指すにも、原点や空間を表す方法が違えば記述の形式も数値も違ってきます。
同様に、基本理念が違えば、ひとつひとつの細かい疑問に対しての答えの記述が異なるはずです。
ゆえに、よく言われているように、人から答えを教えてもらえる種類の問題ではないということなのでしょう。

元へ戻って、今ここで言いたいのは、
自分自身の活動の頂点にある基本理念を明確な概念として捉えることができれば、
そしてその概念が高次であればあるほど、物事がシンプルに見えるということです。
シンプルになることで自分を見失うことも少なくなります。
これは自分にとっても周囲にとっても価値のあることなのではないでしょうか。

希霜の基本理念 Recycling of Happiness の意識も、伝えるべきことは単純です。
原点は前述の体験にあるのですが、もう少し現実に近いところから言うと、すべての基本は感謝と希望です。

身の回りに存在している人・物・自然・運・巡り合わせなどに感謝すること…これが幸せ感に繋がっています。
ひとつの例ですが、自然の存在そのものに感謝していると、
冬の冷たい木枯らしも寒いと感じられることが暖かい部屋と同じぐらいありがたいし、
梅雨の時期に続く雨も宝石にも負けないぐらい美しいように感じられるものです。
たとえ不快な刺激であっても、五感に触れる何かがある…
それだけで十分に素晴らしいことだと希霜は思っています。

話は分からなくもないが、なぜ実際にそんな風に感じられるのか?と聞かれることがあります。
人は、比較対象が無いものについては、どう評価すればいいのか分からないことが多いものです。
通常、自然という大きな括りで考えたとき、我々は常に自然のあるところに居るため、
自然がない状態を実感として想像できず、自然の存在そのものに対する評価は漠然としています。
そして代替案的に、次元を一段階落として、例えば快適な現象と不快な現象に分けるなどして、
現象ひとつひとつについて、好ましい、好ましくない…と評価をしているのではないでしょうか。

しかしながら、自然すらも意味を成さない状態を一時的とはいえ上述の通り体験し、
そういう視点に立つと、どんな形であれ接点があるというのは貴重なことに思えるのです。
先ほどの木枯らしや雨の例に沿って状況を解説するなら、
こんな寒い日に薄着してきたのは失敗だったと思いながらも空気の冷たさを全力で味わったり、
傘を忘れて困ったなと言いつつも、どこかで雨の感触を楽しんだりしているという感じです。

そして感謝と対を成す希望とは、熱望でも願望でもなく儚い望み、言い換えると、“そっと待つ”感覚です。
つまりそれは、周囲の環境が自分の望みを実現する方向に動いてくれることを期待するものではなく、
望みが実現した時、実現したことに高感度に気づくことを自分に期待するものだということです。
自らの意思で思い通りになるのは、宇宙全体の中で、自分(の一部)だけです。
少し遡りますが、第4部で生死の二択に直面した状況に関して、こう書きました。
 >自分の外にある全てが、もう少ししたら無関係なものになってしまいます。
 >一部の恵まれたケースを除けば、最終的に意味のあるものは自らの精神のみなのです。
 >あらゆる環境を断ち切った状態、それが究極的な精神世界ということなのでしょう。
ここで有意に残ったものが、“自らの意思で思い通りになる”範囲にあるものだと考えればよいでしょう。
制御圏外にあるすべての環境の状態は、
運良く望み通りになることもあるかもしれないけど、ならないかもしれない、確率論の世界です。
「どうして○○は□□してくれないんだ…」「なぜ××は△△なんだ…」と嘆く人がいますが、
そもそもそういうものなのです(^^; (まあ、分かってて単に言ってるだけの場合もありますけどね)

「撮影中、こうなったらいいなと思って待っていると、案外本当にその通りのシャッターチャンスに出くわす」
自然写真家の高砂淳二さんがトークショーでそう言っておられました。
実現しなかったものについては特に考えず、実現したものは敏感に感じ取るということなのだと思いますが
これがまさに希望の話で、たくさんの希望を抱いていると、実現するものも確率論に基づいて多くなります。
(心の中に置いておく希望の数や内容は自由ですよね。)
それは日常生活でも同様なので、こうした写真家的な態度だと言えば分かりやすいのではないでしょうか。

繰り返しになりますが、感謝と希望をあたかも基本的な物理法則であるかのように自然と実践していれば
いつのまにか小さな出来事からも深い幸せを感じられるようになっていることでしょう。

そして、幸せとは上限が決まっていて100%満たされたら完成というものではなく無限大の広がりを持っており
一方で不幸も、幸せによって追い出されるものではなく、量子論的に同時に存在し得るもの、
つまり、幸と不幸は逆の要素ではなく別の要素であり、一つの事象において人は幸せでもあり不幸でもある…
というのが希霜の認識です。
何が言いたいかというと、
どうせ幸と不幸が両方存在するなら、幸せに意識の焦点を合わせて日々の生活を送りたいものですが、
最近世間的に使われている意味での「癒し」が、幸せの比率の高い一時的な環境や刺激の提供だとするなら、
希霜の写真表現の本当の目的は「鑑賞者の心の、幸せに対する感度を高めること」にあり、
表面的なイメージとしての前者とメッセージとしての後者の相乗効果をもって作品としたいと思っています。
簡単に言うと、「いつでも幸せを感じられる世界観」を伝えるということです。

もう少し突っ込んで話すと、伝えられる側の立場で見れば、
幸せに対する感度を高めることの意義を知識として持っていても、それを実践するのはまた別問題です。
“理解する”のと“信じる”のはまったく別物であり、そう簡単に習慣として身につくものではありません。
逆に言うと、一度“信じる”ことができれば“理解した”内容を忘れても反射的に行動できるものです。
“理解する”から“信じる”へ到るには、その間を繋ぐ道に相当する経験が必要なのですが、
その架け橋になり得る可能性を秘めているのがライトフル写真を通した疑似的な体験だと考えています。

Recycling of Happiness とは、ここで述べてきた経験的に得られた意識を人と共有する活動だと言えます。
物事の本質とは、決して又聞きでは伝えられないものです。
伝達を唯一可能にするのが経験した本人による洗練された表現であり、
それがオリジナリティーということになるのだと思います。
第1章でその本質を自己の内面から取り出してきたのに対し、
第2章では今度は本質を人に伝えることへの挑戦になります。
更に言えば、伝達した意識が2次的、3次的に人から人へと伝播していけばいいのですが、
それはまた先の話になるでしょう。

・・・そして、話は飛躍しますが、Recycling of Happiness を継続的にやり抜いて、
未来のいつの日か不可抗力によって死に直面した時、もう一度考えることでしょう。

「俺の人生は何だったんだ・・・」

今度は、きっと別の答えが待っていると信じています。
生きるか死ぬか、もはや選択肢は1つしかないでしょうが、納得の上でそれを選べるのではないでしょうか。
そのときまで、希霜の活動をあたたかく見守っていただければと思います。

とはいえ、いずれこれだけでは説明しきれない状況にぶち当たることはほぼ確実です。
宇宙は11次元で説明できると思ったらそうでもなかった。12次元ならうまく解釈できることがわかった。
…なんて凡人には理解不能な天文学・物理学の世界があるそうです。
精神世界にもきっと、まだまだ希霜の知らない高次の意識レベルが存在するんでしょう。
でも、そのときはまた全力で問題の解決に取り組めばいい。そう思っています。
その難問が解けるたびに、第3章、第4章…と先へ進めるのかもしれませんし・・・ね。

最後に、置き土産的になりますが、
有名なある曲の歌詞を読んでいただいて第1章を振り返る話を終わりにしたいと思います。
恥ずかしいことに希霜は最近までこの曲の歌詞を真面目に読んだことがなかったのですが、
突然ふと気になり、何度も何度も読み返してみて、「ものすごい完成度だ…」と驚きました。
一体どうやってこの歌詞が出てきたのか、不思議でなりません。その曲とは…

千と千尋の神隠しの主題歌 『いつも何度でも』

今改めてじっくり読んでみると、新しい発見があるのではないでしょうか。
さあ、次記事からは第2章が本格的にスタートします。
今後ともよろしくお願いします!
 
――――――――――――――――――
別館 『希霜さんの大ボケ研究室』
HP 『光と色の協奏曲』
 
by lightful | 2011-02-06 02:53 | 希霜的写真論

日常をライトフルに綴る写真雑記 HP http://lightfulproject.jp/


by 希霜
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