“希霜”天外?

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道具と手法から語る希霜流<1>

コニカのSINBI(今は無きフィルム)風狙いで…
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SONY から α77 が発表されましたが・・・
なんか α も変わってしまったなぁ…という印象です。
たしかに性能的には素晴らしいんだけど
いまひとつ惹かれるものがなく、一歩引いて見ています。

さて、今さらですが

「フィルムとデジタル、どっちが画質がいいの?」

・・・なんて話がデジタル初期に飛び交っていました。
数年が経ち、その類の議論はあまり聞かれなくなりました。
それに変わって昨今稀に聞くのが、

「フィルムとデジタル、どっちが作品に向いてるの?」

という質問。
いわゆる“味”や好みの要素が関わってくるので
これは人ぞれぞれとしか言いようがありません。
双方の言い分はごもっともで、
絶対的な答えなんて出ないだろうと思います。

そもそも、自分の目的に沿ったものを探せば
おのずから持つべき得物は決まってくるわけで、
本来悩むところではないんですが…
まあ、一般論を話し出すと長いので割愛します ^^;

希霜の場合は、フィルムのつもりで撮るデジタル派です。
機材の選択にも思想が貫かれているべきだと考えているので
道具に関しては“それでなければならない理由”があります。

いつもコメントを入れてくださっている諸兄はご存じでしょうが(笑)
カメラにあまり詳しくない方のために言うと、希霜は SONY の
α900 というデジタル一眼レフ(通称デジイチ)を使っています。

「デジイチの中で、撮影という行為を最も楽しめる」

というのが選択の理由です。
やっぱり、作品を生み出すには撮影そのものの楽しさが必要です。
自分の感性を最大限に引き出さなければならないのに、
その感性を鈍らせるようなものを使うのは矛盾だと思います。
楽しいからこそ全力で何かを感じることができるんじゃないでしょうか、ね。

何が楽しいか?ってマニアックな話はこのあたりに書いてます。
興味があれば読んでみてくださいね。

しかしながら、写真というものをトータルで考えるなら、
今でもフィルムの方が更に楽しいと思います。

デジタルみたいに“試し撮り”なんてありえない。
明るめ・暗め、それぞれの場合の完成図を、必死に頭の中で描く。
絞りも、引き伸ばすサイズを考慮しながら緻密に計算する。
ベストのイメージが出来上がったら、1ショットずつ丁寧に撮る。
すべてが真剣勝負の世界です。

…と語ると、次のような意見が出る。

「じゃあ、デジタルでも同じ気持ちで
 1ショットずつ丁寧に撮ればいいんじゃないの?」

ええ、それはそれで正しい発想だと思います。
希霜も、そう思うからこそ1ショットずつを楽しめる α900 を
数あるデジイチの中から選んだわけです。

ただ…(自分の経験から言って)その背景が全然違う。
例えばフィルムだと、次はあのフィルム使ってみようかな?
と、カメラ屋さんに買いに行くところから一連の流れが始まります。

買うついでに、お店の人と、あーだこーだと写真論を語り合って
ドサクサに紛れてちょっと値切って ^^;
なんやかんやと情報を仕入れて帰ってくる。

で、撮ったら現像に出しに行く。
またそこで、上がったフィルム(ネガなら写真)を店のお兄さんと眺めて
そのショットはこうだとか、あのショットはどうだとかやり合う。

何も写っていなかったりすると(たまにやるよね。笑)痛みは大きい。
なんせモノを空費した証拠が目の前に残るのだから、
何もなかったことにしよう( ̄ー ̄;)ヒヤリ …とはいかない。
受け取りに行く時間だけでなく現像代も取られるし、恥ずかしいし ^^;
そのショックはデジタルのカード入れ忘れの比ではない。

無事写っていれば(笑)帰ってからライトボックスに乗せて
一人でジックリと眺めながら自画自賛したり自己嫌悪に陥ったりする。

希霜の場合は自家現像や自家プリントまではしなかったけど、
それでもなにかしら手作業がつきまとう。
プリントなら、一枚一枚繰ってみたり、並べてみたり、
時にはお気に入りの写真に指紋がついたと落ち込んだり、
すべてが五感を通して出来事が展開する。

いろんなところで人が関わっているし、
写真を物体として扱うことができる。
技術云々の前に、作品として取り組む以前に、
大前提として人間として楽しく過ごしている実感がある…
…というか、わざわざ意識をしなくても必然的にそうなる。
それがフィルムだと思います。

しかし、生きていられる時間は限られています。
同じ撮るなら最大限の結果(画質という意味にあらず)を求めたいし、
そう思うとストイックにならざるを得ないところが出てくるものです。
残念ながら上述の満足感だけでは、極限的な自己追求はできません。
やはり楽しいだけでは面白くありませんから…ね。

フィルムに限界を感じるのは、例えば
 ひとつに、色合いの問題。
 ひとつに、耐暗所性の問題。
 ひとつに、将来への継続性・可能性。
 ひとつに、最終出力形態との相性。
などなど。

逆にデジタルの利点は、なんといってもリアルタイム性。
撮ったその場で、ある程度のレベルで考え直して、
再度撮影に取り組んで少しずつ洗練していくことができます。

そして、出力過程での扱いやすさ。
光沢紙、無光沢紙、和紙、キャンバス調…なんでも来いの勢いだし
しかも紙の特性に合わせてカラープロファイルさえ設定してやれば
それなりに色をコントロールできます。
(あくまで、“それなりに”です。)

もうひとつ重要なのが、色合いやレンズ特性の研究のしやすさ。
描写の傾向をつかむのはデジタルの方が圧倒的に早いです。
もちろん、フィルムを100本単位で平気で消費できる経済観と
1コマごとにメモを取れる几帳面さがあれば、話は別ですけどね。

そういったことを総合して、道としての追求性を考えた結果、
デジタルでありながら撮る行為そのものの楽しさを残したα900に行き着きました。

その上で、フィルムの良さを忘れないようにしたいという想いもあり、
物体化の意識として、プリントした写真をよく持ち歩いています。
希霜氏お気に入りのハーネミューレの紙に乗った写真は、
見る人にとっては結果的に、写真屋さんのプリントより
(技術的な巧拙によらず)五感に響いているように感じます。

人との関わりという点でも、これも結果的にですが、
カメラ屋さん・写真屋さんに足を運ぶ回数が減った分、
出力(プリント)の自由度が高くなったことも手伝って
額屋さんなどに通うことが多くなっている気がします。

自分が撮った写真に対して、
手間をかけたり、知恵を絞ったり、人間らしい何かを付加する。
また、その結果を作品展などで人に“直に”見てもらう。
…そういう撮影周辺のアナログ性は、むしろフィルム時代よりも
(個人的な取り組みの問題として)良い方向へ進んでいます。

そこにはやはり、自分が求める表現への到達を後押ししてくれる
デジタル技術の助けが大きく寄与しているのは間違いありません。

本来、技術が進化すれば、より良い生活が送れるはずであって、
精神的な豊かさと物質的な豊かさが反比例するように見えるのは、
単に(提供側・利用側双方の)心掛けの問題ではないかと思います。

震災以降、ちょっと流れが変わったかな…とも感じていますが、
アナログの良さを最大限引き出すためにデジタルを駆使するような
そんなニュアンスを持つ世の中になってほしい…というか、
そうなるべく、ひとつひとつ活動を積み重ねたいものです。


・・・などとエラソーなこと言って、
過去の大散財を正当化しようとしているわけでは決してございません
ええ、決して…ね(爆笑)
 
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別館 『今日も、ちょっと幸せ。』
HP 『光と色の協奏曲』
 
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by lightful | 2011-09-13 23:39 | 希霜的写真論

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