大歩危写真・希霜流とは<3>
ライトフルが続くと思って油断したでしょ?(笑)
ひゃ~…また SONY が新機種発売だそうです。(コンデジですけど。)
5倍ズームのレンズで10倍相当の撮影ができる「全画素超解像技術」
手振れ補正もパワーアップしているらしい…。
どんどん撮影技術が要らなくなっていきますね (^^;
見栄え良く撮れるだけでスゴイと言われていた時代もあったようですが、
近年のデジタル技術の凄まじい発達が
(表面的な意味での)美しさを当たり前のものに変えてしまいました。
この状況を現代写真の難しさとして嘆く人もいますが、
ポジティブに見るなら、技術的な努力に割く時間が減った分
他のことへ意識を広げる余裕ができるはずです。
当ブログのどこかで書きましたが、人間が他の動物ではなく人間たるのは
芸術・科学・哲学・宗教の意識を持っているところにあると思います。
言い換えると、人間らしい活動をしている自覚があるときは必ず、
これらの4要素のどれか、またはその組み合わせが含まれているものです。
補足すると、ここで言う宗教とは
○○教という形式的なものを超えた、もっと本質的な意味合いです。
分かりにくいかもしれませんが、キリストは…、お経の文言は…という話ではなく
「つまるところ、人として何をすればいいの?」
という疑問に対する答え、ぐらいのニュアンスで捉えてください。
話を戻して、芸術としての写真が飽和しても
科学・哲学・宗教的なコンセプトやメッセージ、課題などをそこに加えていけば
まだまだ新たなスタイルが開拓される可能性は十分にある…いや、
それこそが本来目指すべき方向だろうと希霜は考えています。
理論物理学者のアインシュタインも
「宗教なき科学は不具であり、科学なき宗教は盲目である。」
と言ったそうですが(詳細はこちら)、
逆に加点方式で言えば、宗教により目的を得た科学は社会に貢献します。
芸術性のある科学は人々に夢やロマンを抱かせます。
哲学を伴う科学は人々に知性をもたらします。
複数の要素が組み合わさることで、人間として高次の活動を展開できる
と思うのです。
つまり希霜流の本質は、色彩の調和や形としての美だけでなく、
人間としての4つの視点すべてから自らのテーマについて
多角的・多重的に考え、取り組む姿勢だと自己分析しています。(今の時点での答えとして。)
ところで、前記事後半の抽象的な質問の話の続きです。
○○に入る言葉によっては、多少質問に無理が生じたかもしれませんが、
それぞれの項目は、Q1 は芸術観、Q2 は科学観、Q3 は哲学観、Q4 は宗教観
を引き出すための問いかけです。
「○○について語ってください」と、すべてを一度に捉えようとするよりも
要素ごとに分けて考えるほうが理解しやすいと思います。
さて、自問自答してみて、いかがでしょうか。
まず、○○に入った言葉は、過去の作品すべてに当てはまりますか?
Q1~Q4 の答えは、自分自身の創作活動(または人生)のすべてを説明していますか?
その目指すべき方向性は、自信を持って人に語れますか?共感を得られますか?
その概念は、時間とともに変化しそうですか?それとも普遍的なものですか?
何を完成形とするか…となると人それぞれ意見がありそうですが、希霜は、
「○○は、作者本人が持つすべての要素に含まれる共通概念」
「Q1~Q4は、○○について各視点から述べられていて、互いに矛盾しない答え」
が入るべきであって、更に言うなら
「それらの言葉で(少なくとも)現在と過去の作品すべてを説明できる」
べきであると考えています。未来についても説明できればベストですが…
まあ、先のことは何が起こるか分かりませんからね。
…ともあれ、
このような思索と、撮影を含む創作活動が相互に影響を及ぼし合い、
Theory and Practice で徐々に高次の意識へと上っていくのが
「道」としての写真ではないでしょうか。
本来ならそういった議論を経たうえで、それを無理なく実践するために
「日常を楽しみましょう♪」という流れになっているのが希霜流なのですが、
前記事の分類で6割+3割に属する方には、難しいことはさておき
純粋にライトフル表現を楽しんでいただければいいと考えています。
で、1割の修行志向の皆さまは、
これからも希霜的写真論の記事にご参加のほどよろしくお願いいたします ^^;
蛇足ながら、繰り返し強調させていただきますと(笑)
結論だけ見れば“おうちフォト”や“女子カメラ”のような感性に近いですが、
作品に到る経路や意識上の写真の位置づけなどは中性的であり、
女性的に偏ったものではない・・・と思う…のですが…いかがでしょうか? ^^;;
――――――――――――――――――
別館 『今日も、ちょっと幸せ。』
HP 『光と色の協奏曲』
ひゃ~…また SONY が新機種発売だそうです。(コンデジですけど。)
5倍ズームのレンズで10倍相当の撮影ができる「全画素超解像技術」
手振れ補正もパワーアップしているらしい…。
どんどん撮影技術が要らなくなっていきますね (^^;
見栄え良く撮れるだけでスゴイと言われていた時代もあったようですが、
近年のデジタル技術の凄まじい発達が
(表面的な意味での)美しさを当たり前のものに変えてしまいました。
この状況を現代写真の難しさとして嘆く人もいますが、
ポジティブに見るなら、技術的な努力に割く時間が減った分
他のことへ意識を広げる余裕ができるはずです。
当ブログのどこかで書きましたが、人間が他の動物ではなく人間たるのは
芸術・科学・哲学・宗教の意識を持っているところにあると思います。
言い換えると、人間らしい活動をしている自覚があるときは必ず、
これらの4要素のどれか、またはその組み合わせが含まれているものです。
補足すると、ここで言う宗教とは
○○教という形式的なものを超えた、もっと本質的な意味合いです。
分かりにくいかもしれませんが、キリストは…、お経の文言は…という話ではなく
「つまるところ、人として何をすればいいの?」
という疑問に対する答え、ぐらいのニュアンスで捉えてください。
話を戻して、芸術としての写真が飽和しても
科学・哲学・宗教的なコンセプトやメッセージ、課題などをそこに加えていけば
まだまだ新たなスタイルが開拓される可能性は十分にある…いや、
それこそが本来目指すべき方向だろうと希霜は考えています。
理論物理学者のアインシュタインも
「宗教なき科学は不具であり、科学なき宗教は盲目である。」
と言ったそうですが(詳細はこちら)、
逆に加点方式で言えば、宗教により目的を得た科学は社会に貢献します。
芸術性のある科学は人々に夢やロマンを抱かせます。
哲学を伴う科学は人々に知性をもたらします。
複数の要素が組み合わさることで、人間として高次の活動を展開できる
と思うのです。
つまり希霜流の本質は、色彩の調和や形としての美だけでなく、
人間としての4つの視点すべてから自らのテーマについて
多角的・多重的に考え、取り組む姿勢だと自己分析しています。(今の時点での答えとして。)
ところで、前記事後半の抽象的な質問の話の続きです。
○○に入る言葉によっては、多少質問に無理が生じたかもしれませんが、
それぞれの項目は、Q1 は芸術観、Q2 は科学観、Q3 は哲学観、Q4 は宗教観
を引き出すための問いかけです。
「○○について語ってください」と、すべてを一度に捉えようとするよりも
要素ごとに分けて考えるほうが理解しやすいと思います。
さて、自問自答してみて、いかがでしょうか。
まず、○○に入った言葉は、過去の作品すべてに当てはまりますか?
Q1~Q4 の答えは、自分自身の創作活動(または人生)のすべてを説明していますか?
その目指すべき方向性は、自信を持って人に語れますか?共感を得られますか?
その概念は、時間とともに変化しそうですか?それとも普遍的なものですか?
何を完成形とするか…となると人それぞれ意見がありそうですが、希霜は、
「○○は、作者本人が持つすべての要素に含まれる共通概念」
「Q1~Q4は、○○について各視点から述べられていて、互いに矛盾しない答え」
が入るべきであって、更に言うなら
「それらの言葉で(少なくとも)現在と過去の作品すべてを説明できる」
べきであると考えています。未来についても説明できればベストですが…
まあ、先のことは何が起こるか分かりませんからね。
…ともあれ、
このような思索と、撮影を含む創作活動が相互に影響を及ぼし合い、
Theory and Practice で徐々に高次の意識へと上っていくのが
「道」としての写真ではないでしょうか。
本来ならそういった議論を経たうえで、それを無理なく実践するために
「日常を楽しみましょう♪」という流れになっているのが希霜流なのですが、
前記事の分類で6割+3割に属する方には、難しいことはさておき
純粋にライトフル表現を楽しんでいただければいいと考えています。
で、1割の修行志向の皆さまは、
これからも希霜的写真論の記事にご参加のほどよろしくお願いいたします ^^;
蛇足ながら、繰り返し強調させていただきますと(笑)
結論だけ見れば“おうちフォト”や“女子カメラ”のような感性に近いですが、
作品に到る経路や意識上の写真の位置づけなどは中性的であり、
女性的に偏ったものではない・・・と思う…のですが…いかがでしょうか? ^^;;
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別館 『今日も、ちょっと幸せ。』
HP 『光と色の協奏曲』
by lightful
| 2011-08-01 20:15
| 希霜的写真論