これはびっくり…
この感覚を、まさか本に書いている人がいるとは思わなかった。
今、将棋棋士の羽生善治さんの著書『決断力』を読んでいます。
きっかけは、ツイッターで見かけた羽生さんの名言集の1つに
飛び上がるほど驚いたことでした。
なんと、こんなことを仰っていたのです。
> これ以上集中すると「もうもとに戻れなくなってしまうのでは」と、
> ゾッとするような恐怖感に襲われることもある
(『決断力』より抜粋)
これは、実は2つ前の記事の
> もし撮影中にそれが暴走したら、もはや今までの場所には戻れないだろうと思う
で言いたかったことにとても近いのです。
希霜がごとき人間が、羽生さんのお話と比べて同じとか違うとか論じるのは
あまりにも恐れ多いことであるのは承知しています。
が、レベルはさておき、内容があまりにも酷似している…。
大きさはまったく違えど相似形の話だと言えるかもしれません。
ともあれ、これは本を読んでみるしかないだろう…と
上記書籍を購入したという流れです。
昔、将棋をやっていたころは気づきませんでしたが、
羽生さんはアーティストに近い感性をお持ちのようで、
書かれているお話はとても興味深いものです。
そして、半分ほど読んだところで注目すべき文章が…。
> 将棋だけの世界に入っていると、そこは狂気の世界なのだ。
> ギリギリまで自分を追いつめて、どんどん高い世界に上り詰めていけばいくほど、
> 心がついていかなくて、いわゆる狂気の世界へ近づいてしまう。
> 一度そういう世界に行ってしまったらもう戻ってくることはできないと思う。
> 入り口はあるけれど出口はないのだ。
> 私自身、アクセルを踏み込むのを躊躇している部分がある。
> 経験からも、一年なり二年なり、ずっと毎日将棋のことだけを考えていると、
> だんだん頭がおかしくなってくるのがわかる。
> 入り口は見えるけれど、一応、入らないでおこうと思っている。
(『決断力』より抜粋)
そうです、まさしくそれを感じていたのです。
「戻ってくることはできない」という同じような表現の仕方に驚きました。
ちなみに、希霜の過去記事のその続き、
> 大袈裟かもしれないけど、本気の創作とは、会心の作品を生み出すこととは、
> 自分の人生と引き換えに重大な真理を可視化することなんじゃないかとすら思う
というのは、入り口以降について感じていることです。
現在、入り口に目と鼻だけを突っ込んだような状況なのですが、
それはとんでもないエネルギーに満ちている世界なのです。
時節柄不謹慎な例えかもしれないけど、原子力に似ています。
福島原発の事故・被害の根本的原因は、桁外れのエネルギーに目を眩ませ、
原子力に対する十分な知性や技術を手に入れる前にその力を使ってしまったことです。
20世紀の人々はたくさんのテクノロジーを生み出してきましたが、
こと原発に関しては手順を間違ったと思います。
もちろん、たった4行で終われるほど単純な話ではないとも思いますが、
ここは時事を扱うブログではありませんので現実的な議論はさておき…。
芸術と表現の関係は、科学と技術の関係にいろいろな面でよく似ています。
より大きな(表現の)エネルギーを安定的に手に入れるには、
それに見合う制御能力(理解・感覚・技術・思想など)を
身につける必要があるのだと最近感じています。
それが、今の希霜の写真は実力と照らし合わせて非常にきわどいところにいます。
(上掲ショットは、この日の4~5番手ぐらいの写真。あまり参考にならないかと…)
時折予期せぬ状態で降って来るチェレンコフ光のような閃きは、
一歩間違うと爆発的な核反応へとつながる危険性を秘めているのかもしれません。
まあ、「芸術は爆発だ」って言うし、
もしかしたら爆発させてもいいのかもしれないけど…ね?^^;
・・・話を戻して、羽生さんは上記文章の直後にこう書かれています。
> 空白の時間をつくることは、心や頭をリセットすることだ。
> ぼんやりすることは誰にでもできるだろう。
> 仕事や人間関係などを頭からすべて捨て去り、
> 生活の中に空白の時間をつくることは心身のリフレッシュにつながるはずだ。
(『決断力』より抜粋)
えぇ、えぇ。そうですよね。そうなんだろうとは思うのですが…
ただ、もうちょっとで制御のための理論に手が届くという感触もあり、
ここで中断する気にはなれません。仮に現状、前に進んでいなくとも…ね。
爆発が先か、コントロールできるようになるのが先か…
またもや意味不明な話になってしまいました。
非常に抽象的で分かりにくかったかもしれません m(_ _ )m
(※)
念のためですが・・・
たとえマッチ棒でも扱い方が分からなければ火事になります。
人ぞれぞれ、その時点での制御限界は異なるわけですから、
羽生さんが仰っているのは、規模が全然違う話なのだと思います。
――――――――――――――――――
別館 『今日も、ちょっと幸せ。』
HP 『光と色の協奏曲』
今、将棋棋士の羽生善治さんの著書『決断力』を読んでいます。
きっかけは、ツイッターで見かけた羽生さんの名言集の1つに
飛び上がるほど驚いたことでした。
なんと、こんなことを仰っていたのです。
> これ以上集中すると「もうもとに戻れなくなってしまうのでは」と、
> ゾッとするような恐怖感に襲われることもある
(『決断力』より抜粋)
これは、実は2つ前の記事の
> もし撮影中にそれが暴走したら、もはや今までの場所には戻れないだろうと思う
で言いたかったことにとても近いのです。
希霜がごとき人間が、羽生さんのお話と比べて同じとか違うとか論じるのは
あまりにも恐れ多いことであるのは承知しています。
が、レベルはさておき、内容があまりにも酷似している…。
大きさはまったく違えど相似形の話だと言えるかもしれません。
ともあれ、これは本を読んでみるしかないだろう…と
上記書籍を購入したという流れです。
昔、将棋をやっていたころは気づきませんでしたが、
羽生さんはアーティストに近い感性をお持ちのようで、
書かれているお話はとても興味深いものです。
そして、半分ほど読んだところで注目すべき文章が…。
> 将棋だけの世界に入っていると、そこは狂気の世界なのだ。
> ギリギリまで自分を追いつめて、どんどん高い世界に上り詰めていけばいくほど、
> 心がついていかなくて、いわゆる狂気の世界へ近づいてしまう。
> 一度そういう世界に行ってしまったらもう戻ってくることはできないと思う。
> 入り口はあるけれど出口はないのだ。
> 私自身、アクセルを踏み込むのを躊躇している部分がある。
> 経験からも、一年なり二年なり、ずっと毎日将棋のことだけを考えていると、
> だんだん頭がおかしくなってくるのがわかる。
> 入り口は見えるけれど、一応、入らないでおこうと思っている。
(『決断力』より抜粋)
そうです、まさしくそれを感じていたのです。
「戻ってくることはできない」という同じような表現の仕方に驚きました。
ちなみに、希霜の過去記事のその続き、
> 大袈裟かもしれないけど、本気の創作とは、会心の作品を生み出すこととは、
> 自分の人生と引き換えに重大な真理を可視化することなんじゃないかとすら思う
というのは、入り口以降について感じていることです。
現在、入り口に目と鼻だけを突っ込んだような状況なのですが、
それはとんでもないエネルギーに満ちている世界なのです。
時節柄不謹慎な例えかもしれないけど、原子力に似ています。
福島原発の事故・被害の根本的原因は、桁外れのエネルギーに目を眩ませ、
原子力に対する十分な知性や技術を手に入れる前にその力を使ってしまったことです。
20世紀の人々はたくさんのテクノロジーを生み出してきましたが、
こと原発に関しては手順を間違ったと思います。
もちろん、たった4行で終われるほど単純な話ではないとも思いますが、
ここは時事を扱うブログではありませんので現実的な議論はさておき…。
芸術と表現の関係は、科学と技術の関係にいろいろな面でよく似ています。
より大きな(表現の)エネルギーを安定的に手に入れるには、
それに見合う制御能力(理解・感覚・技術・思想など)を
身につける必要があるのだと最近感じています。
それが、今の希霜の写真は実力と照らし合わせて非常にきわどいところにいます。
(上掲ショットは、この日の4~5番手ぐらいの写真。あまり参考にならないかと…)
時折予期せぬ状態で降って来るチェレンコフ光のような閃きは、
一歩間違うと爆発的な核反応へとつながる危険性を秘めているのかもしれません。
まあ、「芸術は爆発だ」って言うし、
もしかしたら爆発させてもいいのかもしれないけど…ね?^^;
・・・話を戻して、羽生さんは上記文章の直後にこう書かれています。
> 空白の時間をつくることは、心や頭をリセットすることだ。
> ぼんやりすることは誰にでもできるだろう。
> 仕事や人間関係などを頭からすべて捨て去り、
> 生活の中に空白の時間をつくることは心身のリフレッシュにつながるはずだ。
(『決断力』より抜粋)
えぇ、えぇ。そうですよね。そうなんだろうとは思うのですが…
ただ、もうちょっとで制御のための理論に手が届くという感触もあり、
ここで中断する気にはなれません。仮に現状、前に進んでいなくとも…ね。
爆発が先か、コントロールできるようになるのが先か…
またもや意味不明な話になってしまいました。
非常に抽象的で分かりにくかったかもしれません m(_ _ )m
(※)
念のためですが・・・
たとえマッチ棒でも扱い方が分からなければ火事になります。
人ぞれぞれ、その時点での制御限界は異なるわけですから、
羽生さんが仰っているのは、規模が全然違う話なのだと思います。
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別館 『今日も、ちょっと幸せ。』
HP 『光と色の協奏曲』
by lightful
| 2011-04-29 01:06
| 希霜的写真論