自然(じねん)<1>
タイトルに反して、この写真はちょっと意図的…
先の長文で、写真を通して伝えたいのは
精神的無重力体験に由来する Lightful World であるという話、
そしてそれを体感する主要素は感謝と希望なのだという話をしました。
第1章としてはそれで良かったのですが、今度は第2章的な定義として
「写真を通して」ではなく「写真“活動”を通して」伝えたいもの
について考えています。
ある時、Naturality という言葉がどこからともなく頭の中に降りてきて
伝えたいものはこれなんじゃないかと直感しました。
こんな単語どこで聞いたんだろ…と不思議に思いつつ
正確な意味を知ろうと辞書を調べたんですが、なんと載ってません。
・・・Natural の名詞形は Naturalness らしい。
でも Naturalness と言ってしまうとなんか違うんだよな~…
と、モヤモヤしていました。
Web上で英和・和英・英英辞典などを渡り歩いているうちに、
たまたま 自然(じねん)という言葉を目にして、あっ!と気づきました。
自然(しぜん)ではなく自然(じねん)。
今まであまりこの言葉は意識していなかったんですが
結局そういうことなのかなと、ぼんやりと感じています。
突然無意識から飛び出してきた造語は、
Naturalness『自然(しぜん)であること』ではなく、
Naturality『自然(じねん)であること(訳:希霜)』なのだという
一種のひらめきだったのでしょうか(^^;
話が飛びますが、つい最近知り合った某Mさんとの会話の中で
「昔は目的と目標の違いが分かっていなかった」
という話をしていて、これはブログのネタになりそうだと思いました。
帰宅して文章の構成を練っていると、上記の通り Naturality が飛び出してきたのです。
おかげで思いがけず希霜的写真論が発展しました。某Mさんに感謝ですねぇ。
で、目的と目標の違いを簡潔に表すなら例えば、
目的とは心の中の想いであり、目標とは想いを現実に合わせて具体化したもの
と言えるのではないでしょうか。
目的の方が上流にあって目標はその下流側と言ってもよさそうです。
ところが、
その目的と目標が繋がっていないケースが、世の中にはたくさんあるようです。
サラリーマンで仕事が嫌だという人が多いのは、
明らかに自分の目的のためではない目標を押し付けられているから…ですよね^^;
まあ、メシにありつくためという目的があるにはあるのですが、それは
動物的な目的であって人間的な目的ではなく、それゆえに面白くないのでしょう。
閑話休題。
第1章では、希望と感謝の意識に基づく幸せを伝えるという目的が生じた理由と
Recycling of Happiness の実践という目標を、
自分自身を考察することによって高次の概念に遡ることで、
意識の流れをよりシンプルに捉える試みを行いました。
そのおかげで作品について人に説明するのもものすごく楽になったし、
自分の頭の中も整理され、更に高次の思考ができるようになりました。
そして今ここで考えるのは、
自分自身の考察から更に1次元上にある“人間の定義付け”です。
いわゆる、人間とは何かという話。(苦笑)
(…と、すべてを知り尽くしたかのような口調で書いてますが^^;
あくまでも発想の一例として参考程度に読んでいただければ十分です。
自分の作品の考察に皆が同じルートを辿る必要はないと思います。)
さて、思考から行動への意識の流れを川に見立てます。すると、上流から順に、
人間の定義付け → 自分自身の考察 → 目的 → 目標 → 実行(行動)→ 結果
のように並ぶと思います。
上流側はまだまだ先があって宇宙意識などと言い出せばキリがないんでしょうが
とりあえずは1次元上を目指します。
物事というのは、ひとつ上の次元の概念を獲得すると理解が容易になります。
自分の内側から湧いてきた目的を掬い上げて意識の整理をするなら、
例の長文のような、目的の一つ上流側にある自分自身の考察が必要になります。
そして自分自身を考察しようとするなら、
人間の定義付けができている方が思考の流れがシンプルになるはずです。
…ということで、
「人間とは、哲学・芸術・科学・宗教の4つの視点を持った生き物である。」
十人十色の答え方があるでしょうが、人間が人間たる理由は
現時点での仮説として、自分が納得できる答えとしてはこれだと考えています。
念のため注釈すると、ここで言う宗教とは単なる○○教などの分類のことではなく
どの宗教文化においても共通すると思われる本来持っているべき理想のことです。
物事を多面的に考えたり、あらゆる対象に美しさを感じたり、
何かを追究したり、理性に基づいて判断したり、
…そういう営みは他の動物にはできないことでしょう。
(とはいえ、イヌやネコになったことがないので推測でしかないですけどね?)
では、Lightful World が4つの視点からどのように位置づけられるのか。
ここからがメインディッシュなのですが、長くなったので一旦ここで区切って、
それについては次の記事に書くことにします。
――――――――――――――――――
別館 『希霜さんの大ボケ研究室』
HP 『光と色の協奏曲』
先の長文で、写真を通して伝えたいのは
精神的無重力体験に由来する Lightful World であるという話、
そしてそれを体感する主要素は感謝と希望なのだという話をしました。
第1章としてはそれで良かったのですが、今度は第2章的な定義として
「写真を通して」ではなく「写真“活動”を通して」伝えたいもの
について考えています。
ある時、Naturality という言葉がどこからともなく頭の中に降りてきて
伝えたいものはこれなんじゃないかと直感しました。
こんな単語どこで聞いたんだろ…と不思議に思いつつ
正確な意味を知ろうと辞書を調べたんですが、なんと載ってません。
・・・Natural の名詞形は Naturalness らしい。
でも Naturalness と言ってしまうとなんか違うんだよな~…
と、モヤモヤしていました。
Web上で英和・和英・英英辞典などを渡り歩いているうちに、
たまたま 自然(じねん)という言葉を目にして、あっ!と気づきました。
自然(しぜん)ではなく自然(じねん)。
今まであまりこの言葉は意識していなかったんですが
結局そういうことなのかなと、ぼんやりと感じています。
突然無意識から飛び出してきた造語は、
Naturalness『自然(しぜん)であること』ではなく、
Naturality『自然(じねん)であること(訳:希霜)』なのだという
一種のひらめきだったのでしょうか(^^;
話が飛びますが、つい最近知り合った某Mさんとの会話の中で
「昔は目的と目標の違いが分かっていなかった」
という話をしていて、これはブログのネタになりそうだと思いました。
帰宅して文章の構成を練っていると、上記の通り Naturality が飛び出してきたのです。
おかげで思いがけず希霜的写真論が発展しました。某Mさんに感謝ですねぇ。
で、目的と目標の違いを簡潔に表すなら例えば、
目的とは心の中の想いであり、目標とは想いを現実に合わせて具体化したもの
と言えるのではないでしょうか。
目的の方が上流にあって目標はその下流側と言ってもよさそうです。
ところが、
その目的と目標が繋がっていないケースが、世の中にはたくさんあるようです。
サラリーマンで仕事が嫌だという人が多いのは、
明らかに自分の目的のためではない目標を押し付けられているから…ですよね^^;
まあ、メシにありつくためという目的があるにはあるのですが、それは
動物的な目的であって人間的な目的ではなく、それゆえに面白くないのでしょう。
閑話休題。
第1章では、希望と感謝の意識に基づく幸せを伝えるという目的が生じた理由と
Recycling of Happiness の実践という目標を、
自分自身を考察することによって高次の概念に遡ることで、
意識の流れをよりシンプルに捉える試みを行いました。
そのおかげで作品について人に説明するのもものすごく楽になったし、
自分の頭の中も整理され、更に高次の思考ができるようになりました。
そして今ここで考えるのは、
自分自身の考察から更に1次元上にある“人間の定義付け”です。
いわゆる、人間とは何かという話。(苦笑)
(…と、すべてを知り尽くしたかのような口調で書いてますが^^;
あくまでも発想の一例として参考程度に読んでいただければ十分です。
自分の作品の考察に皆が同じルートを辿る必要はないと思います。)
さて、思考から行動への意識の流れを川に見立てます。すると、上流から順に、
人間の定義付け → 自分自身の考察 → 目的 → 目標 → 実行(行動)→ 結果
のように並ぶと思います。
上流側はまだまだ先があって宇宙意識などと言い出せばキリがないんでしょうが
とりあえずは1次元上を目指します。
物事というのは、ひとつ上の次元の概念を獲得すると理解が容易になります。
自分の内側から湧いてきた目的を掬い上げて意識の整理をするなら、
例の長文のような、目的の一つ上流側にある自分自身の考察が必要になります。
そして自分自身を考察しようとするなら、
人間の定義付けができている方が思考の流れがシンプルになるはずです。
…ということで、
「人間とは、哲学・芸術・科学・宗教の4つの視点を持った生き物である。」
十人十色の答え方があるでしょうが、人間が人間たる理由は
現時点での仮説として、自分が納得できる答えとしてはこれだと考えています。
念のため注釈すると、ここで言う宗教とは単なる○○教などの分類のことではなく
どの宗教文化においても共通すると思われる本来持っているべき理想のことです。
物事を多面的に考えたり、あらゆる対象に美しさを感じたり、
何かを追究したり、理性に基づいて判断したり、
…そういう営みは他の動物にはできないことでしょう。
(とはいえ、イヌやネコになったことがないので推測でしかないですけどね?)
では、Lightful World が4つの視点からどのように位置づけられるのか。
ここからがメインディッシュなのですが、長くなったので一旦ここで区切って、
それについては次の記事に書くことにします。
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別館 『希霜さんの大ボケ研究室』
HP 『光と色の協奏曲』
by lightful
| 2011-03-20 10:48
| 希霜的写真論