初心忘るべからず?
摩耶山、第3弾。ストロボ発光せず、希霜の愉快な仲間たち…のシルエット(^^;
コンデジ時代から数えて、約8年。
ショット数にすれば6~7万ぐらい。
まあ…それなりにたくさん撮ってるみたいです。
作品意識を持ち始めたのは、α700の頃からだから
そこからカウントするとだいたい3年ぐらい?
希霜ほど進化の速度が遅いヤツも珍しいと思うけど
遅いなりにじっくりと考えながらやってきました。
今では小規模ながらも写真展を開催するようになりましたが、
比較的写歴の短い人と行動していると、当時の自分もあんな感じだったな~と
(自分も決して長くはないけど)α700を手にした頃を振り返ることがあります。
見ていると、とにかく撮りまくるんですね。
なんか、今の自分がサボってるみたいに見えてきます。
いや…後述するけど、実際サボってるんだと思う。
希霜の勝手な解釈ながら、
写真とは、偶然をたくさん引き起こすことが自分らしい作品に繋がる
・・・という種類の芸術だと思っています。
写真撮影には、目で見て頭に描いた想像通りの絵を得る目的がある一方で、
狙った通りでない絵を、失敗によって偶然得ることで
今までの自分に無かったものを自分のものにすることができるという一面があります。
簡単に言えば、失敗のなかに成功のヒントがあるということ。
まあ、何事もそうなのかもしれませんが。
写真のありがたいところは、ほぼ無傷で失敗できることです。
フィルム時代なら1枚数十円のコストが生じたけど、
今なら撮影~削除で消費する電力分ぐらいですからね。
で、大半は救いようのない本当の失敗だけど、
1000枚ぐらい撮ったら、あれっ?これ意外に面白くない??と思うような
予想外の失敗もそれなりに含まれています。
不思議なことに、そういうところから
自分がどんなものに惹かれて何を表現したいのか、だんだん見えてくるものです。
…などとなんだか偉そうに書いてる(?)希霜氏も、いまだに失敗をやらかします。
上掲の写真も、実はフラッシュを発光するつもりだったのに、凡ミスで光らず(^^;
友人たちに失笑されたのは言うまでもありません(自爆)
が、家に帰ってPCで確認していると、
これは WB を変えてやれば使えるんじゃないかと気づいて RAW から現像。
結果、ブログにアップされるレベルの写真に生き返りました。
周辺減光が効いていて、個人的には結構気に入ってます。
(ケチのつけどころはそれなりにあるけど…ね?)
話が逸れかけてますが、1枚目でフラッシュが無難に発光していれば、
この機材の組み合わせ(α900+50/1.4)でこんな雰囲気に写ることは
気づかなかったはずです。(普段こういう場面では85G+28-75/2.8とか、そんな感じなので。)
要は、ミスったことで
この描写を次回以降どこかで応用する引き出しができたということです。
元に戻って。
毎度悩みながらも目に留まったいろんなものにバシバシとレリーズする姿を見て、
その姿勢は見習うべきだと時々感じます。
最近の希霜さん、ちょっと撮らない傾向が強すぎない?
そりゃもちろん取捨選択の結果で、明らかに撮る意味がないから撮らないって場合もありますよ?
その人を傍から見ていて、それ絶対撮れてないよ…とか、そんなもん撮るなよ…とか
いろいろツッコミたくなる場面も。
(立派な先生についてるみたいだから、あまり口出しはしないけど…ね)
だけど、失敗しないと自分の想像力の範囲内でしか写真を撮れないわけで、
そんな状態が続けばすぐに行き詰まると思います。
円熟した写真家ならともかく薄っぺらい希霜氏ですから、なおさら。
失敗する確率も、失敗から何かを発見する確率も
シャッターを切れば切るほど高くなります。
一番良いのは自然な形で写欲が湧いてくることなんだけど
それを待ってたらなかなか手が動かないので、
何でもいいから意識に留まったものはとりあえず撮ってみようと思う今日この頃。
この発想が正しいのかどうか分かりません。人によっては逆だと言うかもしれない。
…ともあれ、世の中に自分の知らないことがいかに多いか…を痛感している希霜には
こういう姿勢が適してるんじゃないかという、あくまでも個人的意見。
ちょっと機材の話になるけど、
こういうときに、アートフィルターってやつが楽しいんだな♪
今月あたりから、最近放置気味だった PEN の出番が増えてます。
…あと、パノラマ撮影とか HDR とか、10コマ/秒の連写とか、
無駄に使ってみたいな~とか?(笑)
いえ・・・深い意味はないです、深い意味は。何もないですよ決して。ええ。(^^;
by 『光と色の協奏曲』
コンデジ時代から数えて、約8年。
ショット数にすれば6~7万ぐらい。
まあ…それなりにたくさん撮ってるみたいです。
作品意識を持ち始めたのは、α700の頃からだから
そこからカウントするとだいたい3年ぐらい?
希霜ほど進化の速度が遅いヤツも珍しいと思うけど
遅いなりにじっくりと考えながらやってきました。
今では小規模ながらも写真展を開催するようになりましたが、
比較的写歴の短い人と行動していると、当時の自分もあんな感じだったな~と
(自分も決して長くはないけど)α700を手にした頃を振り返ることがあります。
見ていると、とにかく撮りまくるんですね。
なんか、今の自分がサボってるみたいに見えてきます。
いや…後述するけど、実際サボってるんだと思う。
希霜の勝手な解釈ながら、
写真とは、偶然をたくさん引き起こすことが自分らしい作品に繋がる
・・・という種類の芸術だと思っています。
写真撮影には、目で見て頭に描いた想像通りの絵を得る目的がある一方で、
狙った通りでない絵を、失敗によって偶然得ることで
今までの自分に無かったものを自分のものにすることができるという一面があります。
簡単に言えば、失敗のなかに成功のヒントがあるということ。
まあ、何事もそうなのかもしれませんが。
写真のありがたいところは、ほぼ無傷で失敗できることです。
フィルム時代なら1枚数十円のコストが生じたけど、
今なら撮影~削除で消費する電力分ぐらいですからね。
で、大半は救いようのない本当の失敗だけど、
1000枚ぐらい撮ったら、あれっ?これ意外に面白くない??と思うような
予想外の失敗もそれなりに含まれています。
不思議なことに、そういうところから
自分がどんなものに惹かれて何を表現したいのか、だんだん見えてくるものです。
…などとなんだか偉そうに書いてる(?)希霜氏も、いまだに失敗をやらかします。
上掲の写真も、実はフラッシュを発光するつもりだったのに、凡ミスで光らず(^^;
友人たちに失笑されたのは言うまでもありません(自爆)
が、家に帰ってPCで確認していると、
これは WB を変えてやれば使えるんじゃないかと気づいて RAW から現像。
結果、ブログにアップされるレベルの写真に生き返りました。
周辺減光が効いていて、個人的には結構気に入ってます。
(ケチのつけどころはそれなりにあるけど…ね?)
話が逸れかけてますが、1枚目でフラッシュが無難に発光していれば、
この機材の組み合わせ(α900+50/1.4)でこんな雰囲気に写ることは
気づかなかったはずです。(普段こういう場面では85G+28-75/2.8とか、そんな感じなので。)
要は、ミスったことで
この描写を次回以降どこかで応用する引き出しができたということです。
元に戻って。
毎度悩みながらも目に留まったいろんなものにバシバシとレリーズする姿を見て、
その姿勢は見習うべきだと時々感じます。
最近の希霜さん、ちょっと撮らない傾向が強すぎない?
そりゃもちろん取捨選択の結果で、明らかに撮る意味がないから撮らないって場合もありますよ?
その人を傍から見ていて、それ絶対撮れてないよ…とか、そんなもん撮るなよ…とか
いろいろツッコミたくなる場面も。
(立派な先生についてるみたいだから、あまり口出しはしないけど…ね)
だけど、失敗しないと自分の想像力の範囲内でしか写真を撮れないわけで、
そんな状態が続けばすぐに行き詰まると思います。
円熟した写真家ならともかく薄っぺらい希霜氏ですから、なおさら。
失敗する確率も、失敗から何かを発見する確率も
シャッターを切れば切るほど高くなります。
一番良いのは自然な形で写欲が湧いてくることなんだけど
それを待ってたらなかなか手が動かないので、
何でもいいから意識に留まったものはとりあえず撮ってみようと思う今日この頃。
この発想が正しいのかどうか分かりません。人によっては逆だと言うかもしれない。
…ともあれ、世の中に自分の知らないことがいかに多いか…を痛感している希霜には
こういう姿勢が適してるんじゃないかという、あくまでも個人的意見。
ちょっと機材の話になるけど、
こういうときに、アートフィルターってやつが楽しいんだな♪
今月あたりから、最近放置気味だった PEN の出番が増えてます。
…あと、パノラマ撮影とか HDR とか、10コマ/秒の連写とか、
無駄に使ってみたいな~とか?(笑)
いえ・・・深い意味はないです、深い意味は。何もないですよ決して。ええ。(^^;
by 『光と色の協奏曲』
by lightful
| 2010-09-25 05:54
| 希霜的写真論