“希霜”天外?

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過去最大の長文ですが…^^;

器にたまった光はすぐに溢れ出ていく・・・そんな感じ。
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ポートフォリオレビューを通して皆さんからいただいた
コメントやアドバイスへの返答を、こちらに書かせていただきます。
ブログの記事として、あまり適切じゃないかもしれないけど…ね。

たくさんの方々のご意見をじっくりと考察することで、
根本的な問題が浮かび上がってきました。
できればひとりひとりに、直接お話したいんですが、
文章の方が上手く伝わりそうな気がします。
長文覚悟のうえで最後までお付き合い頂ければ幸いです。

・・・上掲の写真のように、光をためる器があるとして。

世の中を見てるとどうも、多くの人は
 器からふわふわと流れていく光を追いかけていったり
 光の出どころを突き止めようとしたり
それに結構な労力をかけている・・・のかな?
他人のことだから想像で言ってるけど、そんな風に見える。
おぼろげな記憶を辿れば、過去の希霜もそうだったような気がする。

で、そういった追いかけ方にその人らしさというか、
その人の動力源となるエネルギーの種類や形態のようなものが現れる。

一方、現在の希霜を含めた何人かの人は、
目の前の器に入って来た光を見てる。
どこから流れてきたのか…なんて深く考えないし
いつ出ていくのかもあまり気にしない。
次の光が流れ込んでくるのを特に期待もしないし
出て行くものにもさほど執着しない。
ただ、今そこにある光に感謝するだけ。
そりゃもちろん、光は多いに越したことはないですよ?もちろん…ね。

余談ながら、
希霜の前に置かれた器に流れ込んだ光は
比較的長時間留まってくれる性質があるみたい。ありがたいことに。

まぁ、それはさておき、希霜のような光との距離感は、
良く言えば達観してる。悪く言えば人間味がない。
某鬼に言わせれば、
 「自分のことなのに他人事みたいに言うよな」
って。

本当に、他人事のように思えるときがある。
痛みや悲しみや苦しみがあるから、
辛うじて当事者なんだって分かる。

話のついでに書いておくと、
希霜のことを冷たいという人は(たまに自分でも言う)
たぶんこの部分を指してるんだろうと思う。
本来、人の心はそんなに単純な尺度で表すものではないけど
まぁ、言いたいことは分かるような…分からないような…?

本題に戻って。

もともと執着心が薄い性格なのもあるけど、
希霜の世界観を決定づけた明確なポイントが、ひとつある。
一度目の人生を終えた(…とあえて表現する)その時またはその前後。

それ以前の自分を、希霜と呼ぶのには違和感がある。
感覚的には、一度時間が途切れているのだけど、
とりあえずここでは、
現実の物理法則と整合性を取るために、表面上、時間を繋げて考える。
“当時を思い出す”のは、あまり良い気分ではないけどね。

すべての面において苦しんでいた時期があった。
その時は、悩みから苦しさを感じるという段階を通り越していた。
それぞれの悩みから生じる“苦しみの総和”としてではなく、
もはや生きること・生きていること自体が恐怖の塊だった。

生きていることが、死ぬことと同等に、あるいはそれ以上に怖い
という状況を、そのとき初めて体験した。
恐怖の大小関係が逆転するときの、
それまで安定していた天秤の皿がふわりと浮き上がるような感覚…。

その瞬間、恐怖が恐怖でなくなる。
恐怖とは、今の状況と比較対象との差分を感じるものなのかもしれない。
天秤が釣り合って、何の恐れも無い状態になった。
この状態は、何日も続くことはなかったが、
なんと不思議な感覚だったものかと、のちに冷静になってから思った。

今になって思い出される感覚とは、開放感。
どこまで行っても壁のない、究極的に自由な空間。
そして、すべての引力が見事に相殺されていた。
突如現れた“不思議な空間”に、軽く笑みさえ浮かべたのを覚えている。

天秤の針は、音もなく“こちら側”と“その向こう”をゆらゆらと往復した。
幸いにも、小さなホコリが“こちら側”の皿に落ちて重量バランスが崩れ、
天秤は元の位置に戻された(これも巡りあわせみたいなものかな?)ものの
その後は、前と同じ世界に存在していながら何かが違う感じがする。

感謝の気持ちが絶対量として大幅に増え、心を恒常的に支配するようになった。
その結果、総じて毎日がとてもハッピーになった。
しかしそれと同時に、感謝に埋もれて表面に出て来にくくなった情動もある。
以前なら、何かが引き金となって突発的に生じた、例えば怒りなどが、
一時的に心を支配するのが当たり前だったのだが…。

最近ふと思ったのが、宇宙から地球を見て世界観が変わるという話と、
ある部分では共通しているのではないかということ。
それを機会に、自分の中の何かが変化する点では同じことなのだ…と。

今まで自分でも無意識のうちに避けていたみたいだけど、
理想の作品を追求する上で現状の問題を解決しようと考察を始めると、
この前後の体験を振り返らないわけにはいかない。
厳しい(でもありがたい)ご指摘だと言ったのは、そういう意味です。
思い出さずに済むなら思い出したくないもんね、こんなこと(^^;

…と語り出すと長くなるので、このあたりにしておいて。

例えば、前記事の
 >いつまでも続くものはないから仕方ないのかな。
なんて言い方も淡々としすぎてて、
あまり寂しくないように感じる読者さんもいるかもしれない。
決して“寂しい”という感情は薄くないんだけど、
実際に“寂しい”のは“今”ではない未来の別の時間の話。
今は“今”をその人と共有できていることへの感謝の気持ちが
自然な形で心の大部分を支配しているために、寂しさが表面に出て来ない
という現象が起きている。

人の口から出てくる言葉の多くは相対的なものだから、
感情の変化を語る表現は、もし何も意識しなければ
心の基底にある感情や概念の最大値で割り算されている。

文字はまだ、音声と違って客観的に見直す余地があって
他人と自分のギャップを埋めやすいからこの程度に納まってるけど
しゃべってるときなら“ま、しゃあないね”で終わってそう。
なので、意識するのを怠ると、言葉として非常に弱いものになる。
いや、場合によっては
意識しても演技レベルまで行かないと上手く言い表せないかもしれない。

感情を表現するという意味では写真も同じ。
なので、このあたりが皆さん揃って指摘する
“希霜の写真の物足りないところ”なんだろうね。

さあ、ここで問題がハッキリする。
希霜の写真表現の主軸は、2つの要素に分けられる。
(1) 希霜が本来持っているライトフルワールドに反応する感性。
(2) 前述のような経験によって得られた世界観。

(1)は、H先生や元DecoのCさんをはじめとして
皆さんが指摘してくださった精神論/具体論を実践できれば
間違いなく完成度は上がると思う。
ライトフルワールドをより良くするのに必要なものは
愛情表現のような、かなり主観性の強いもの。

元DecoのCさんの言葉を借りるなら、
 >たまたま出会った花を見るのと
 >自分で育てた花を見るのとでは気持ちが違う。

つまりそれは、過去の想いを積み重ね、未来を夢見て、
その中間に今の状況が位置するという、時間的要素を含むもの。

H先生の作品なんて、まさにそれだろう。
昆虫に注がれた“決して偶然の対面ではない経時的な優しさ”が詰まっている。
最高のお手本としてもそうだけど、鑑賞者としても憧れ続ける理由は、
ここにあると思う。

対して、希霜の作品は刹那的。
(2)は、どちらかというと客観性をもって対象を捉えるもので、
光の器の話で例えたように、時間軸に対する意識が非常に薄いもの。
この概念が、上記の
 >過去の想いを積み重ね、未来を夢見て、
 >その中間に今の状況が位置するという、時間的要素を含むもの。
を逆の方向性を持つものとして扱い、打ち消すように、
(本来、打ち消す必要はないのかもしれないけれど…)
おそらくは潜在意識レベルで力が働いていたと思う。
撮影時のみならず、生活しているすべての時間において。

現状のレベルでは、
(1)と(2)をほどほどにバランスさせることで落としどころを決めている。
両立ではなく、バランス。
妥協していると認めざるを得ないけれども、そんな感じだと思う。

ちょっと誤解を招きかねないけど、極端な言い方をすれば、
“時間に意味がある”という考え方と“時間は意識しない”という考え方。
言葉だけを見ると、これらを両立するのは極めて困難なことのように感じる。

が、しかし、ハッと気づきました!
この連立方程式の唯一の解は、おそらく“あれ”だろうという仮説を立てました。

“あれ”は、本来ほとんどすべての人の心に存在しているけれど
揺るぎない信念をもってそのエネルギーを行動へと変換している人は
滅多にいない。
でも、その理想の見本は、これまでの知識の中にありました。
(惜しいことに、それは“知識”であって“経験”ではないのだけど…)

しかしそれは、そう簡単に到達できるところではなく
最終目標に置いても良いぐらい困難な課題であって…

・・・と考えていて、ふと思った。

「これを写真表現として成立させた人って、
 …更に言うなら、ライトフルワールドと両立した人って、
 たぶん、そう多くは居ないよね?
 ならば、非常に長い時間を費やしてでも
 そこを目指す価値はあるんじゃないだろうか。」

“あれ”とは。
現状では論理的に証明できないし、ここまでの長文が更に同じだけ続いたら
もう誰も読んでくれないと思うので(^^; ここでは書きません。
だけど、たぶん間違いない。イメージはわかった。

気が狂いそうな、長い長い話だったけど(笑)それが結論です。
今話せるのは、ここまで。肝心なところがピンボケで申し訳ないです。
あまり無責任に書く種類の内容ではないので、ご理解ください。

方法論は今後探していかなければならなく、
今日も写真とはまったく関係ない本を3冊買ってみたり、また試行錯誤です。
それでも概念的にはモヤが晴れた感じです。
写真活動だけでなく普段からこの結論を意識して行動/思考しようと思います。
ご協力いただいた皆様、まことにありがとうございました。
今後とも厳しいご意見など頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。

ちなみに、希霜という名前。
由来はさておき、文字を見ると
今そこにあっても少し時間が経てば儚く消えていく霜のイメージ。
結構、現在の作者の人生観を表してるかも・・・ね?
 
by 『光と色の協奏曲』
 
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by lightful | 2010-07-30 22:11 | 希霜的写真論

日常をライトフルに綴る写真雑記 HP http://lightfulproject.jp/


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